国語教育いろいろ

高校、大学の現場での議論のいろいろです

魯迅「故郷」

魯迅「故郷」


模擬授業お疲れ様でした。
戦後の中学の、
文学教材の定番中の定番。
挑んでくれてありがとう。

 

この作品が古びないのは、
今日取り上げられた
あのラストの「転回」に、
私たちが、希望ー思想を現実にしようとするときに働く、根源的なモメントがある手触りを持って表現されているからでしょう。

 

希望というのは
その実現を誰かが保証してくれるようなものではない。
しかし私が一歩を踏み出したとき、
誰かが一歩を踏み出し、
また別の誰かも隣で一歩を踏み出している、
そのことに気づく、
そんな奇跡がこれまでにもあったし、
これからも起きるだろう。
それが人間の歩みだろう。
「金色の月」の情景は、
妄想ではなく、確かに現実のものとしてあった、そして、これからも現実となるだろう情景として、
私たちを導く。

 

この教材が「中三」に置かれていることにも意味があるのかもしれません。
「中二」を通過した先にあるのは
現実の中での挫折であったり、ニヒリズムであったり、再び夢想に自閉しようとする衝動だったりするかもしれません。

 

作品には
現実に打ちひしがれるキャラクターも出てくるし、
目先だけ、自分の欲望だけ、というキャラクターも出てくる。
もう子どもではないけれど、
希望を実現する力もなく、
希望がなんであるかもはっきりしない「中三」たちの心にこの作品がなんらかの火を灯すかもしれない。

 

今日の授業のやりとりに参加して、
そんな感想を持ちました。
国語の問いを通じて、
自分たちの現在が揺さぶられる。

 

そして、それは、
中三だけではなく、
大人であるはずの私たちにとっても同じことだと感じます。

 

ただ、あきらめてる大人。
ただ、今だけ金だけ自分だけに生きる大人。
ただ、知識や理屈を捏ね回すだけの大人。
大学生がガチで教材研究するに値する作品だな、
と改めて思います。