・コインは円形か、のポイントは、
表現のしかたによって
見方が変わる、ということです。
⭕️本来のレトリックとは、私たちの認識と言語表現の避けがたい一面性を自覚し、それゆえに、もっと別の視点に立てばもっと別の展望がありうるのではないか……と探求する努力のこと。
⭕️レトリックとは、例えば枝から離れた果実が地面へ落ちるという事態を目撃した時、単に「りんごが地面へ落ちた」と考えるだけでは満足しないことである。ことによると、《りんごに向かって地面が突進してきた》とも考えられはしないか、あるいは《りんごと地面は互いに引きつけ合っている》と考えるべきではないか……と、さまざまな想像力をはたらかせることであろう。レトリックとはそのように多角的に考え、かつ、多角的な言葉によって表現してみることである。
・逆にいうと、
表現を変えることによって、
見方を転換する、
ということです。
りんごが落ちる、という一つの事実についての
表現を変えることで、
ニュートンはそれをやったわけです。
・国語として、
この教材でやりたいことは、
見慣れているある事態、事実を
別の表現であらわしてみることで、
筆者の言っているものの見方の転換を
実感してみることでしょう。
・60点しか取れなかった。
60点も取れた。
こんな単純な表現の違いにも
ものの見方の違いは反映されます。
60点しか取れなかったの!
と言われ続ける子どものことを
想像すれば、
表現(レトリック=特定の認識)は現実に
影響を及ぼすことがわかります。
・文芸もまた、
表現によって現実の認識に影響を与えようとする技術の一つです。
朝焼け小焼けだ大漁だ
オオバいわしの大漁だ
浜は祭りのようだけど
海の中では何万の
いわしの弔いするだろう
・こんな詩もそうかもしれません。
一つの事態が
祭り/弔いの両面として認識されること。
この、金子みすずの詩が提示していた問題意識は、
たんなる感傷を超えて、
例えば、自然の権利、という概念となって
人々に共有されるようになっています。
それは、自然にも人権同様の権利がある、という認識であり、自然を原告として訴訟することを可能にするものです。
表現が現実を変える。
ニュートンの表現が、
万有引力という認識を常識化したように。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/03/-1970-2006.php
表現の転換が、
認識の転換を生み、
現実に影響を与える。
ここがポイントです。