国語教育いろいろ

高校、大学の現場での議論のいろいろです

2022-06-01から1ヶ月間の記事一覧

導入の使い方

○質問です 導入→本編のところで、多義図形の実践からすぐに本文に入る班(私たちの班はこちらでした)と、多義図形などのあと、本文の内容を1度ざっくり説明したうえで本文に入る班がありました。 どちらの考えもメリットがあるなと思います。どちらの手法がい…

少年の日の思い出

少年の日の思い出 前回の「百科事典少女」の授業が、「一読法」的な展開だったとしたら、今回の「少年の日の思い出」は、「三読法」の初読段階を扱った授業と言えるかもしれません。 「三読法」は、国語の授業で典型的に使われている指導過程です。 「通読・…

百科事典少女

テキストの一部を空白にしたり、 順序を入れ替えたりして 原形を推定するという方法は、 授業の手法として存在します。 問題はその意図と効果。 それによって、 方法の細部が設定されます。 「百科事典少女」の続きを予想する。 このとき目指されるべきなの…

俘虜記にある希望

私は兵士ではなかった。 私は一人だったから。 俘虜記にあるこの認識が、 私たちの「希望」です。 ティムは その瞬間、何かがいっぱいになる。 投げるな、という声。 投げるんだ、という声。 私たちは 集団にいるとき、 常にこの二つの声にまとわりつかれて…

私たちはティムであるー学生の感想

以下、学生の感想の一部です。 ---------- 今回授業で扱った「待ち伏せ」と「俘虜記」。その他にも○さんが投稿してくださった「ヒロシマの歌」や「おかあさんの木」など、沢山の戦争文学作品に触れさせていただきました。 後悔や悲しみ。 恐怖や暴力。 殺し…

深く読むためには、読む私を読むことが必要

深く読むためには、読む私を読むことが必要。 難波さんのおっしゃること、 よくわかる気がします。 私は、それを 水平に頭を使うことー勉強 と 垂直に実践することー深く読む とかつてイメージし、 表現しました。 同じ問題意識なのではないか、 と思ってい…

俘虜記/待ち伏せ

「俘虜記」の問い、「なぜ撃たなかったか」は、「待ち伏せ」の問い、「なぜ投げたか」と一対を成しています。 なぜ、一方は撃たず、一方は投げてしまったか? 一つの答えは、〈大岡〉はそのとき兵士ではなく、〈ティム〉は兵士だった、というものです。 この…

言葉の現れる場所

人間はおそらく、 日常のほとんどの時間、 考える前に行為しています。 人間は、 自分が思っているより オートマティックな存在でしょう。 オートマティックな行為の一々を 言語的に判断することなく、 また、 言語的に記憶することなく、 こなして生きてい…