国語教育いろいろ

高校、大学の現場での議論のいろいろです

比べるということ

比べるということ


入試で複数資料の比較の問題が出るようになってからか、
現場でも読み比べをやる頻度が多くなった気がします。
比較の原則みたいなことをちょっと書いてみます。

 

⭕️比較の前提

比較することの前提は類似です。
蟹とヒナゲシを比較しなさいと言われても「?」ですが、蟹とザリガニなら、できそうです。

羅生門に元ネタがあることを知らなかった読者がたまたま今昔を読んで、「なんか知ってるぞ、この話」ってなったとき、比較する動機が生まれる。

 

五限で「待ち伏せ」と「俘虜記」という、どちらも戦場で一人の敵に遭遇するという作品を連続して教材研究したことがあります。一方は殺し、一方は殺さない。類似の設定だという枠組みが自然と二つを比較する視線を生んでました。

協議でも出ていた「同じところへの着目」というのは、だから、比較のための原理的な前提です。

 

あと、検討する範囲の限定。これも出てましたね。蟹とザリガニのハサミの違いを観察しよう、と限定するようなものです。
そして、先生がある程度リードして、比較のとっかかりを与えるということも。

 

そういうことを踏まえて、
例えば、こんな手順例が考えられます。

◯冒頭の場面設定の比較に限定する。

◯おさらいー羅生門のこの部分を再読し、場面をもう一度イメージしてね。場面を構成する要素は、時、場所、人物、状況でしたね。

◯今昔のこの部分を音読しますから、場面を思い浮かべてね。

◯どうやった?ー同じようでけっこう違ってました(生徒)。そやね。

◯いろいろ違うけど、では、どっちも同じ、というところは? 男=下人がいたところは? 男=下人が移動したところは?

◯では、違いを確かめよう。男はなぜここに来た? 男はなぜ二階へ移動した?

◯その他気づいた違いを整理しよう。

 

⭕️なんのための比較か

授業を構成するときは、やはり、こういう方向へ持っていきたいという見通しが必要です。その比較によって、意味のある発見やある種の力を鍛える活動ができることを見込んでおく必要がある。

 

今昔の場面(動機)設定は、都会に盗みに来た、人目が多いので避けるために暗くなるまで、二階へ、です。
一方、羅生門は、どちらについても「どうしようもなく」ですね。

 

意志の有無。この明確な対比を取り出すだけでも、羅生門が何を描きたかったのか、というテーマを再考する大きなヒントになると思います。

 

これは比べることで明確になる、テキストの意図ー芥川の意図と言ってもいいでしょうーの可視化作業です。

 

小説を突っ込んで、鋭く深く読む手の一つに、
⭕️「こう書かれているが、こうではない書き方が選ばれた可能性もある、なのにこう書かれてるのはなんで?」と突っ込んでみる、

というのがあります。

この問いを持つには、けっこうな力、感性、修練も要りますが、おもしろいものです。

 

「ある夕暮れどきのことだ。」とも書けるけど、「ある日の暮れ方のことである。」って書いたのはなぜ? 
こうしてみると、オリジナルの持つ、なんというか、大仰というか、古風というか、そんな感じが浮き彫りになります。
比較対象を人工的に設定する技です。

 

元ネタテキストとの比較は、その比較対象がすでに与えられてるケースですね。
その比較は、やっぱり、ある表現を選択することを通して、表現したい何らかの世界を形象化している、そのありさまを意識的に読み取ることを目指すものになると思います。

 

それが今日の指導案で言おうとしていた「効果」ということじゃないのかな。