国語教育いろいろ

高校、大学の現場での議論のいろいろです

「寒いね」に「寒いね」と返す物語

模擬授業お疲れ様でした!

自分なりに想像力を働かせて解釈するという活動は、特に短くて余白の多い短歌や俳句でやるのに向いてますね。

想像力を言語化する、というのも、重要な国語の課題です。今日の授業にはそれを楽しくやれるヒントがあったと思います。

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どんな人か、どんな場所か、どんな季節のどんな時刻か、どんな状況かー小説のときに読み取るこのような設定について、短歌では想像力を発揮していろいろに設定できる余地がある。

とは言っても、言葉の使い方は状況を規定します。「寒いね」に「寒いね」と返す人間関係は、「寒いですね」「そうですね」という人間関係とは異なりますから、自ずと妥当な設定が絞られる側面もあります。

言葉を注視し、かつ、自分の経験や想像を加えて、自分にとってぴったりくる世界を思い浮かべてみる。これは楽しいことです。

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今日のようなやり方もありますが、同じように設定についての想像力を働かせる活動として、

「歌物語を創る」という手もあります。

高校生ならできるでしょう。

例えば「寒いね」の歌が最後に来るような短いお話を作るのです。誰かと誰かが暮らしている。ある事がきっかけで暮らすようになった二人。ある季節のある時刻、二人が「寒いね」と呼びかわす……。

古典の伊勢物語などを学習済みならやりやすいでしょう。

実際にやったこともありますが、とても面白く多様な歌物語集ができました。

シュタイナーの『社会問題の核心』

「国語」に関係する二つの観点をシュタイナーから取り出しておきます。
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前回はシュタイナーの『社会問題の核心』が教材でした。シュタイナーはこの本を第一次大戦の後に書いています。大戦で人類はこれまでと質の異なる〈殺し合い〉を経験しました。人間社会が継続できるのだろうかという危機感の中で思考されたものです。
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人類が継続できるのかという問題は、現在の私たちの問題です。戦争、核、気候崩壊、人工知能の暴走。百年後この文明が健全に継続している保証はありません。
シュタイナーは資本主義を批判していました。あらゆるものの商品化ー労働力、権利、すべてが商品となる。この事態は、情報も含めて、完全にすべてが商品化した世界を生きている私たちの課題です。
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国語の評論文と呼ばれる教材(や問題文)では、社会問題に関わる主題が多く取り上げられます。学年が上がるにつれて、知識も増えてくるので、それを前提とし、知識の支援を得て読解を展開していくようになります。逆にいうと、私たちは、知識で読んでいるので、知識がなければ理解できないわけです。
したがって、学ぶ側だけでなく、当然国語を教える側にも知識が要求されます。
知識は多様な分野にまたがりますが、社会問題についての文章では、必ずといってよいほど、資本主義の問題に突き当たります。
⭕️高校の国語教室を営むに当たっては、資本主義について最低限の問題意識を持っておく必要があるでしょう。
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シュタイナーの時代よりもっと強力な形で産業資本主義は私たちの社会、人生を支配しています。マルクスやシュタイナーは事の本質を見抜いていたと言えるでしょう。シュタイナーは「マルクス主義」を批判しましたが、問題のありかについての認識は、マルクスと重なるところが多い。
人間は本来、何かを構想し、実践する、そうやって生を営む存在です。収穫を企図して播種し、育て、収穫して自分たちで消費する。ところが、資本主義社会で労働は受身であり、その結果は自らに返ってくることはない。ただ労働力を売っているだけ。
シュタイナーも人間の能動性を最重視しました。
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この能動的な人間の精神は何によって支えられるか。シュタイナーは、それは「概念」ではなく、「表象(イメージ)」だといいます。
辞書の定義を知っているというとき、それは「概念」を知っているに過ぎない。「表象」とは、右から左への記号操作にとどまるものではなく、意味を自分の問題として引き受けるときに生まれるものです。その人にとって切実で生々しいものになっていること。それが大事だというのです。
これは、例えば、国語の問題で、操作的、概念的に「正解」に当たるものはここだと見つけられたとしても、それだけでは、実感を伴った理解や表現に至っているとはいえない、という問題と重なっています。
「概念」的には正解っぽいけれど、「表象(実感)」としては何もわかってないということです。
⭕️国語教室で目指すのは、概念の操作ではなく、実感や問題意識を伴った理解です。右のものを左に効率よく、するすると情報処理するのが優等生だとすれば、国語教室が育てたいのは、そういう器用さだけにとどまる力ではない。この点はシュタイナーのいうとおりだと思います。
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資本主義の理解。
自分の問題として引き受ける思考。
これを取り出しておきます。

 

 

 

ことばで世界を分節する

人間はことばで世界を区別(分節)している、ということは、他のいろんな主題に関わってきます。
赤ちゃんは混沌とした世界を生きているけれど、ことばを覚えるにつれて、ことばで世界を切り分けていくようになる。
そのときに身につけた言語が日本語なら、日本語の切り分け方に従った世界の見方を習得していく。エスキモーの言語で育った子どもは、氷を何種類にも区別するという世界認識を獲得する。
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例えば、人を区別し、差別する文化の中で流通している言語には、そのような人間の切り分け方が張り付いていて、その言語を習得していく中で子どもたちはいつのまにか、差別の視線を内面化してしまう。
女と男という言葉しかない言語では、人間をこの二つの切り分けでしか見られないというのも同じことです。
言葉による世界の分節化にはこのような社会問題が宿る可能性があります。
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精細な語彙や表現の使い分けができず、すべて「やばい」などと丸めてしまうことしかできない場合、内面の実態(これも世界の一種)に言葉が追いつかず、内面の紛糾が暴力としてしか発露できないという場合もある。
ことばの教育の問題でいうならば、自己を含めた世界の精細な把握と表現のためのことばを発達させることが課題になります。
分節化の原理は、教育の課題にも関わります。
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言語は差異の体系であるという認識も、いろんな問題と結びついています。
ある語が現れ、流通し、定着するということは、他の語では認識できない何かを認識する必要性が現れたことを意味します。
それは美しい、という場合、それはかわいいでもきれいでもなく(他のどの語でもなく)、美しい、ということを意味しています。美しいといったとたんに、美しい事態が存在し始める。これは、ある価値を存在させることです。
それは、Aではなく、Bだ、と、Aとの差異としてBを提示することが「情報」の本質です。
情報もまた差異の体系です。
他のものとの関係の中で位置を占める。
これはお金もそうです。
単体のお金には意味はない。お金が商品と交換される、その体系の中でお金はあたかも価値を持つかのようにふるまえるのです。
ものとことば、で示されていた原理は、高校で扱われる評論のいろんなところにじつは顔を見せます。
そういうことも見通して、授業が展開できれば、べつの教材を扱っているときにも、またここへ戻ってくることができる。
理解が教材を超えて深まっていくのです。

 

ちごのそらねー心の中の声

模擬授業お疲れ様でした!
児のそらねを60分で最後までやり切ったのは、なかなかたいしたものです。
古典はまずはお話を読むものです。
今日はお話を最後まで読ませることができましたね。
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お話を読むって、当たり前のように思うかもしれませんが、どうも、古典といえば文法
という授業を受けてきてそれが刷り込まれている人も多いのではないかな。
みなさん、どうか、その「文法から」ということを頭から消してください。
文法は読むための補助手段です。
読むためにその知識が必要になったタイミングで、最小限取り上げる。
そうしないと、作品のおもしろいところに行き着くまでに、「もうわからん。めんどくさい」と寝てしまう生徒をたくさん作ってしまうことになります。
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さて、ちごのそらねのおもしろいところは、「心の中の声」がたくさん出てくるところです。
次のかぎかっこの中がそうです。教科書ではかぎかっこはついていません。
⭕️「さりとて、し出ださむを待ちて寝ざらむもわろかりなむ」と思ひて、
⭕️「定めておどろかさむずらむ」と、待ちゐたるに、
⭕️「うれし」とは思へども、
⭕️「ただ一度にいらへむも、 待ちけるかともぞ思ふ」とて、
⭕️「いま一声呼ばれていらへむ」と、念じて寝たるほどに、
⭕️「あな、わびし」と思ひて、
⭕️「いま一度起こせかし」と、
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訳してみると
⭕️「でもぼたもちを待って寝ないっていうのもみっともないしなあ」
⭕️「ぜったい起こしてくれるやろう」
⭕️「うれぴー!」
⭕️「でも一回で返事したら、待ってたな!って思われちゃうしなあ」
⭕️「もっぺん呼ばれたら返事しよ」
⭕️「ええーっ、つ、つらすぎる」
⭕️「もっぺん起こしてよ〜〜」
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こう見て見ると、彼の心の揺れ動きが、かわいらしい感じでよく伝わってきますね。
心の中のせりふは必ず「〜と」で受けています。つまり、「と」を探すと、せりふは見つかります。かぎかっこはついてないので、それを探す作業をして、そこに注目することで、心の中の実況中堅がより鮮やかに読み取れるでしょう。
この「心の中のせりふ探し」は、古典でよく使います。源氏などでもよく使います。覚えておいてくださいね。

 

評論「何々とはどういうことか」とはどういうことか

ものとことば2回め、お疲れ様でした!
とても大事な模擬授業実践だったと思います。
自分にピンとくるものに引き寄せて理解する、という試みだからです。
これは、ことばの生活の中でとても重要なポイントです。
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「100分で名著」というテレビ番組があります。哲学の話など難しいものも多い。その中で「誰々はこう言ってる」という話に対して、司会の一人伊集院光さんは、「それって、お笑いでいうとこういうことですかね」なんて、いつも見事に受け止めています。話し手の学者さんも感心して、「そうです、まさにそのことです」などと返しています。
概念を日常的(テレビ的)な言葉に砕き、また、身近な例に対応させるという技です。
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私たちが今日読んだようなテキストでも、
やらなけらばいけないのは、そのことです。
理解できる言葉に「翻訳」する。
ピンとくる「例」を当てはめる。
自分の言葉で書き直す、というのは、それらを通じて理解するということです。
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教科書に載るような評論文は、構造が比較的はっきりしています。
どこが問いで、どこが具体例で、どこが概念の説明か。主張はいくつあって、それはどこに書いてあるか。根拠は何でどこで説明しているか。
そういうことが、そのつもりで見れば、見抜けるようになっています。
今日の授業でもやりましたね。
全体の構造、構成を捉えさせるんだ、と意識してやれば、かなり明確に進めることができると思います。
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ただそれだけでは、「ピン」とは来ない。
文章の設計図を色分けしているだけになる。
そこに試験問題でもよくある、あの「何々とはどういうことか」という問いが現れるわけです。
「ことばがものをあらしめる」と言ってるのは、見つけた。では、「ことばがものをあらしめる」とはどういうことか。
・本文内の言い換え、説明を探す。
・本文内の対応する具体例を探す。
さらに、
・自分で表現を変えて言い表してみる。
・自分で具体例を見つける。
教室で読むわけですから、この「自分で」の部分は「自分たちで」と置き換えられます。先生も含めた自分たちで、あーだ、こーだ、と「どういうことか」の答えを探ることが、評論の読みです。
すぐには、わからないからこそ、いい、ともいえます。
あーだ、こーだ、と考え合ううちに理解は深みを帯びてくるからです。
今日の授業はそういう営みに持っていける可能性を秘めていました。

 

 

新しい一つの人生を創り上げてゆくことに幸せがある

小津安二郎の「晩春」(1949年)で、周吉(笠智衆)が紀子(原節子)にいうせりふ。

「幸せは待ってるもんじゃなくて、やっぱり自分たちで創り出すものなんだよ。結婚することが幸せなんじゃない。一ー新しい夫婦が、新しい一つの人生を創り上げてゆくことに幸せがあるんだよ。」

何度観ても、心動く。
生というものの根っこを懸命に訴える父の姿が胸を打つ。
結婚に限らない。
ゴールと思われているものは、じつはスタートなのである。

「お父さんの人生はもう終りに近いんだよ。だけどお前たちはこれからだ。これからようやく新しい人生が始まるんだよ。つまり佐竹君と、二人で創り上げて行くんだよ。お父さんには関係のないことなんだ。それが人間生活の歴史の順序というものなんだよ」

生を創り出す基盤として社会がある。平和がある。次の世代をこのように説得するためには、平和な社会を前提としなければならない。
戦争に行った小津安二郎はよくわかっていたと思う。
ーーー

小津安二郎「晩春」より

シーン93 =夜 部屋
紀子がカバンに荷物をつめ、周吉は紀子が買って来たらしい絵葉書などを見ている。
紀子「お父さん、それ取って頂だい」
周吉「うん?(とそばの何かを取って渡し)早いもんだね、来たと思うともう帰るんだね」
紀子(頷いて)「でも、とても愉しかった、京都……」
周吉「うむ、来てよかったよーーぜいたくいえば切りがないが、奈良へも一日行きたかったね」
紀子「ええ……」
周吉(見ていた絵葉書を渡す)「オイ、これ」紀子、受取ってカバンに入れる。
周吉(手廻り品などをゴソゴソ片づけながら)「こんなことなら、今までにもっとお前と方々行っとくんだったよ、もうこれでお父さんとはおしまいだね」
紀子「……」(荷物をつめていた手がふと止る)
周吉「帰ると今度はいそがしくなるぞお前はーー叔母さん待っているだろう……」
紀子「……」(項垂れている)
周吉「明日の急行もいいあんばいにすわれるといいがね」
紀子「………………」
周吉「まァ、どこへもつれてってやれなかったけど、これからつれてって貰うさ。佐竹君に可愛がって貰うんだよーー(そしてふと紀子の様子に気がつき)どうした?」
紀子「………………」
周吉「どうしたんだい?」
紀子「あたし……」
周吉「うむ?」
紀子「このままお父さんといたいの……」
周吉「……?」
紀子「どこへも行きたくないの。こうしてお父さんと一緒にいるだけでいいの、それだけであたし愉しいの。お嫁に行ったって、これ以上の愉しさはないと思うのーーこのままでいいの……」
周吉「だけど、お前、そんなこといったって……」
紀子「いいえ、いいの、お父さん奥さんお貰いになったっていいのよ。やっぱりあたしお父さんのそばにいたいの。お父さんが好きなの。お父さんとこうしていることが、あたしには一番しあわせなの……。ねえお父さん、お願い、このままにさせといて……。お嫁に行ったって、これ以上のしあわせがあるとは、あたし思えないの……」
周吉「だけど、そりゃ違うよ。そんなもんじゃないさ」
紀子「……?」
周吉「ーーお父さんはもう五十六だ。お父さんの人生はもう終りに近いんだよ。だけどお前たちはこれからだ。これからようやく新しい人生が始まるんだよ。つまり佐竹君と、二人で創り上げて行くんだよ。お父さんには関係のないことなんだ。それが人間生活の歴史の順序というものなんだよ」
紀子「……………」
周吉「そりゃ、結婚したって初めから幸せじゃないかもしれないさ。結婚していきなり幸せになれると思う考え方がむしろ間違ってるんだよ。幸せは待ってるもんじゃなくて、やっぱり自分たちで創り出すものなんだよ。結婚することが幸せなんじゃない。一ー新しい夫婦が、新しい一つの人生を創り上げてゆくことに幸せがあるんだよ。それでこそ初めて本当の夫婦になれるんだよ。ーーお前のお母さんだって初めから幸せじゃなかったんだ。長い間にいろんなことがあった。台所の隅っこで泣いているのを、お父さん幾度も見たことがある。でもお母さんよく辛抱してくれたんだよーーお互いに信頼するんだ。お互いに愛情を持つんだ。お前が今までお父さんに持っててくれたような温い心を、今度は佐竹君に持つんだよーーいいね?」
紀子「……………」
周吉「そこにお前の本当に新しい幸せが生れてくるんだよ。ーーわかってくれるね?」
紀子「……」(頷く)
周吉「わかってくれたね?」
紀子「ええ……我儘いってすみませんでした……」
周吉「そうかい……わかってくれたかい……」
紀子「ええ……ほんとに我儘いって……」
周吉「イヤ、わかってくれてよかったよ。お父さんもお前にそんな気持でお嫁に行って貰いたくなかったんだ。まア行ってごらん。お前ならきっと幸せになれるよ。むずかしいもんじゃないさ……」
紀子「……ええ……」
周吉「きっと佐竹君といい夫婦になるよ。お父さん愉しみにしているからね」
紀子「……」(領く)
周吉「そのうちには、今晩ここでこんな話をしたことがきっと笑い話になるさ」
紀子(微笑を浮かべた顔に羞いを見せて)「すみません……いろいろご心配かけて……」
周吉「イヤーーなるんだよ、幸せに……いいね?」
紀子「ええ、きっとなって見せますわ」
周吉「うんーーなるよ、きっとなれるよ、お前ならきっとなれる、お父さん安心しているよ、なるんだよ幸せに」
紀子「ええ……」
と明かるい微笑でそっと涙を拭く。

 

 

 

 

 

あの人に会いたい(NHK) 大村はま・戦後の話し言葉教育(音声) 大村はまの講演 3分

あの人に会いたい(NHK) 大村はま
https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009250097_00000


戦後の話し言葉教育(音声) 大村はまの講演 3分
https://www.youtube.com/watch?v=9cGRXFWMB_0