国語教育いろいろ

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古典の準備 「方丈記模擬授業」補足とまとめ 2017.5

方丈記模擬授業」補足とまとめ

○指導者は、
・完全な品詞分解と正確な現代語訳に加え、
・話の本質を捉え、生徒に伝わる(現代的な・日常的な・場合によっては若者言葉的な)表現も考えておく。
・書き手の動機、書き手の置かれた(描かれた話題の)歴史社会的状況、そのテキストの文学史的、文化史的意義などをしっかりつかみ、
たんなる情報としてではなく、本文の価値(おもしろさ・すごさ)を支えるものとして活用できるよう研究しておく。
(自分(たち)にとっての価値を、指導者なりにつかんでおく。惚れておく)
・その教室の実態やそれまで/これからの指導計画の中で、
今回は何を焦点とするのか、明確に定めておく。
・話の意味、価値をつかむことを主眼とする。
・言葉の壁が意味の単純な理解をじゃまするが、逆にそこが古典のキモ。
「?」が「!」に変化する場面を演出する。
・「あ。そういう意味か!」を導くための色んな手を考えておく。
〈ヒント〉〈ペアワーク〉〈辞書、文法書〉〈注、図表〉〈わかった人にいってもらう〉〈全員にせーのでいわせる〉〈あとから考えようと保留しておく〉…
・何を記録しておくか、何が大事か、はっきり指示・板書する。
ノートの取り方が命。あいまいな指示はしない。
(一律に同じ方法でという意味ではない。生徒の実態を観察して適切に指示。
要するに後から見直してきちんとわかるようなノート作りをさせる)
・音読の反復によって、焦点がはっきりしていく。
(段階の例)発音できるように→できるだけ場面を思い浮かべながら→今回のまとめ/前回の復習として→今から訳す範囲の明示として→全体の総復習。意味を正確に確かめながら。気持ちを込めながら→(今後の応用を期して)暗誦

方丈記の価値
・時代については必ず研究しておくこと。
鴨長明1155年――1216年ということは、
彼の人生は、
保元の乱から、
すでに北条が実権を握っている時代までを生きたことになり、
大きく言えば、
貴族→武家政権への大変革の時代。
藤原氏弱体化、平家滅亡、源氏滅亡の画期をすべて経験していることになる。
彼を鎌倉時代の人と考えるのは不正確で、
むしろ彼の回想は平安末期の混乱期。
芥川の「羅生門」の描く世界。

・次のサイト、なかなかおもしろかった。
負け組の長明。
http://dragoncry.blog34.fc2.com/blog-entry-253.html

100分で名著も。
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/16_hojoki/

・文体
和漢混淆文、で済まさない。そんなことをおぼえても、ある意味しかたない。
だって、今書いてるこれも和漢混淆文だもん。
和漢混交って何?ということを学ばせたい。

それは、男子の知識階級の使っていた漢文(漢文脈)と枕や源氏の和文脈の合体ということ。
もともとは混じることのなかった二つの文体の合体。
長明だけのものではなく、少しずつつくられてきたわけだけど、
彼の文章がそういう合体が可能であることを示した極点だったということ。

今も使っている和漢混淆文(漢字仮名交じり)の先祖。
どこが漢文っぽいか、を調べてみる、という学習もできるね。

・文体おまけ
今昔、平家もそうだけれど、
和漢混交文に共通しているのは、
源氏や枕や平安女流の日記などより、はるかにわれわれにとって読みやすい、
ということだ。
なぜか?

漢語が混じる方が読みやすい。
主語目的語が明示される方が読みやすい。
多くの人に伝えるべく、客観的な視点から描く方が読みやすい。
こういう特徴を持っているからだ。

漢文訓読は、
もともとわけわかんない漢文を
日本人が読めるように解釈・翻訳・解説したもの。
その漢文訓読のスタイルで書いた文章が漢文訓読体。
漢文に戻せるような(中国文から発想して訓読した)ものではなく、
いきなり日本語として、
訓読っぽく書いたのが、
漢文訓読っぽい体。

今も、例えば、村上春樹の文体は、
デビューの頃特に、
アメリカ文学の翻訳っぽい文体といわれた。
それと似てる。

そのハイカラな漢文っぽい体を
なじみの土着和文と混ぜて、
だれもがわかるように文体改造がおこなわれたわけ。
(受け手が広がってきたという背景がある)

そして、それが、
わたしたちの、この日本語表記の骨格を形成した。
漢字仮名交じりで、
漢語はそのまま中国音(に近いもの)で読む。
「このにほんごひょうきのこっかくをけいせいした。」
って書いたらわかりにくくて、
漢字を混合したらわかりやすいというのは、
わたしたちが、長明らが発明した表記法の中で思考しているから。

漢字表記できる語は、グローバルなことば。
それをローカルなやまとことばの中に消化して、
グローカルな言語と表記を
(そして、知らず知らずのうちに思想を)
形作ってきたっていうことだ。

「日本語ってなんで漢字とひらがなと混じってるのー」
って留学生に訊かれたら、
説明できますように。

・視点と思想についてはまた別の機会に。