模擬授業、お疲れ様でした!
いろんな解釈が可能な小説、
その本丸に挑んでくれました。
国語教室を運営するときの
ポイントもおさらいしつつコメントします。
⭕️参照範囲の限定
40人分の視線を制御するのはほんとにたいへんです。
問いを生徒に投げたとき、
生徒の視線はテキストの上をうろつき始めます。
で、必ず、「どこを見たらいいのか、わからない」子が発生する。
授業は、滑走路を走る飛行機みたいなもので、
最後は自由に離陸させたいのですが、
そのエネルギーを噴射できる状態になるまでは
授業者が導いてやらないといけません。
「みんな! ここに目を向けて!」という号令を出す。「ここに印をつけて! 傍線を引いて!」でもいい。今日のように形式段落番号がついているのはとてもいい。素早くそこへ視線を持っていけます。
その上で、範囲を限定して、問いを投げかける。活動ができる状態、答えが導ける状態を、全員に準備するということです。
⭕️問いについての捉え方、答え方、問いの意図を例示する
「表現の特徴は?」という問いだけでは中高生には難しいです。中高生でなくても、「先生は何を期待してるんやろ?」ってなると思います。
国語教室でよくあるのは、
「え? 何やるの?」という戸惑いです。私もよく言われます。問いの意図自体が伝わってない。(だから、『せんせ、何やるん?』って聞いてくれる関係、雰囲気は大事)
方法の一つとして、
答えの一例や観点を見せる、というやり方があります。
例えばここはこういう表現でもいいのに、
こうなってるね。他にもないかな。
とか
比喩、オノマトペ、色彩、視覚聴覚味覚、心理表現、会話表現、語り口、文末‥といった観点を示す。
とか。
あるいは、
こことここでは、ある表現が変化している。それは何?
とか、
内容としては、ここはこう書いても同じなのに、こんな語り口にしている。そんな箇所は他にもないか?
とか。
視線と思考を発動させるために
助走を工夫するわけです。
かつ、机間巡視して、「何をするのかわからない」子を見つけ、助ける。まあ、それは見たらわかります。
⭕️多様な解釈
多様な解釈に挑むときにも
下準備はしてあげる必要があります。
あの場面では
「僕」と「鏡の中の僕」の二者がいます。
「鏡の中の僕」については、
「僕」を通した叙述しかないわけですが、
私たちはそのテキストしか頼るものはない。
とりあえず、
テキストから忠実に取り出すことで
「鏡の中の僕」についての記述を整理する。
これは全員が同じ答えになる作業です。
「鏡の中の僕」の外見=「僕」、とか。
「鏡の中の僕」は「僕」を憎んでいる、とか。
そのような記述を取り出して、
例えば、「鏡の中の僕」をXという未知数と置いてみる。
Xは僕を憎んでる。
そんなX。
Xは僕にそっくりだけど、僕とは別物だと感じられる何か。
そんなX。
なんだろう、Xって?
例えば、こんなふうに、
テキストのどこを根拠に考えればいいのか、
また、
後からみんなでどこからそう考えたのかを共有できる準備をしておく。
ある部分までは、
客観的に教室全体が内容を共有できる。
しかし、あるところから、先、
解釈が分かれる。
そこには、何が反映されているのだろうか。
また、一見逆に見える解釈だけれども、
過程を逆回しすると、
根は同じであるようにも見える。
そんな議論につなぐためにも、
テキストをみんなで分析しておく過程を入れておくのです。
⭕️語りのフレーム
「僕」が二種類いるといいましたが、
じつは、もう一人「語っている僕」がいます。
「語っている僕」は、今、聞いている人たちを前に、過去を思い出して語っています。
「語っている僕」は、正しくは「鏡を見ていた僕」とは違う存在です。
こういう語りの枠組みの問題に気づかせるのも、小説の学びの鍵です。
この小説の最後の問いは、
その「今、語っている僕」が、
ラストで「この家には鏡がない」と付け足す、
その意味です。
「僕は鏡を見ない」、なぜ?
あのとき、「鏡」を割った「僕」は、
今も「鏡のない世界にいる」。
もっと言うと、
「鏡のない世界を選択している」。
あなたは
鏡のある世界で生きられますか?
こう問われたとき、
鏡に映る、
自分なんだけど、
否認したい自分、について、
生徒たちは何をイメージするか?
みなさんの答えも聞いてみたいです。
(レポートに書いてくれてもいいですよ、なかなかデリケートな問いだけれど)