お疲れ様でした。
難題に挑む心意気やよし。
自分が読んでわからないところは、授業のキモです。
生徒もわからない。
しかしそこを突破すれば、
雲の中を突き抜けるように全体が見えてくる。
そういう箇所があるのです。
それを見つけるのも、
教師の力量。
今日の箇所もそうですが、たいてい教科書が問題にしています。
わかりにくいところの言い換えには
二つの方法があります。
⭕️同意類似の箇所を探し、それらを活用して自分がわかる表現に変えていく。
これが多いですね。しかし、「同格」も「論理的」もこの手は使いにくかった。
そのときの手が
⭕️そうではない、あるいは、対立する表現を探し利用する。
「論理的」でないとは、ここでは何のことか、と考え、本文に当たってみるわけです。
すると見出されるのは、
自分の日常の都合に縛られたものの見方
ということです。
ここでいう「論理的」とはそうではないあり方、見方。あらゆる可能性を考え、日常の見方から解放されているものの見方。
ここまで書くと
これはすなわちこの文章の主張と重なっていることがわかります。
日常のものの見方から自由になった観点から見ると、この二つの文はまったく同格である。
で、さらに「同格」が問題になるわけですね。
一つだけ言うと
ここでの同格はイコールではない、ということ。
文法の同格も内容を代入できるという意味でイコールです。
しかし
円形だ、と、まるだ、ならほぼイコールですが、
ここは違う。
今日出ていた
優劣がない、対等だ、という表現は適切だと思います。
Aさんという人格とBさんという人格に優劣はない、同格だ、というとき、
同格はイコールを意味しない。
二つの文はコインについての表現として
それぞれ同等の資格(正しさ)を持っている。
これもまた、
何々ではない、何か、
という発想で探り求めていく例です。
ほんま、けっこう、脳のエネルギーがいる授業でしたね^_^