国語教育いろいろ

高校、大学の現場での議論のいろいろです

俘虜記/待ち伏せ

「俘虜記」の問い、
「なぜ撃たなかったか」は、
待ち伏せ」の問い、
「なぜ投げたか」と一対を成しています。

 

なぜ、一方は撃たず、一方は投げてしまったか?


一つの答えは、
〈大岡〉はそのとき兵士ではなく、
〈ティム〉は兵士だった、というものです。

このとき、
ここで言われている「兵士」である条件は、
「俘虜記」のテキストに忠実に探るなら、
「隣に僚友がいる」ことだけです。

大岡の隣には、
カイオワがいなかった。

大岡もティムも
軍装を帯び、
戦場に運ばれ、
階級を割り振られ、
一定の訓練を受けているという点で、
客観的には「兵士」です。

しかし問題は客観性にあるわけではない。
言うまでもなく。

 

「隣に僚友がいない」

 

このことは、
ここでの「私」(大岡)の前提条件です。

 

彼は、
マラリアの「重症」患者
であり、
●隊から見捨てられたー食糧薬品その他すべての生をつなぐ手段を奪われている
●死ぬための手榴弾だけが与えられている
(生きて捕虜になるなという命令とともに)

戦闘以前に彼に生存の望みはない。

マラリア
――重症化すると脳症、腎症、肺水腫/ARD、DIC様出血傾向、
重症貧血、代謝性アシドーシス、低血糖、黒水熱(高度の血色素尿症)など
種々の合併症を生じ、致死的となる。(国立感染症研究所
https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/519-malaria.html


この部分
――
戦闘以前に極めて多くの日本兵が追い込まれた、
この状況をまずなんとか捉えることが、
授業でも読解の前提となるでしょう。

 

※参考『餓死した英霊たち』
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480098757/

 

そこに加わるのが、
●米軍の上陸と接近。彼我の圧倒的戦力の差。

死することが常識化した世界。
もはや勝つためではなく、
死ぬために集められ、
見捨てられていく人間たち。
死へ向かって集団で突き進んでいく出口のない環境を
なんとか想像したい。

ティムの置かれた環境との違いも念頭に。

 

ここにあるのは、
「兵士」である限り死ぬという環境です。

 

しかし「私」は見捨てられた。
「隣に僚友がいない」
この条件が、逆説的に
彼を生き延びさせます。

 

発熱が継続し、
水も飲まず、
銃を持ちながら彷徨する。
歩けない。
倒れる。
自分を殺しに来る外国人と
遭遇する。
たったひとり。
名も知らぬ草木の生える南島で。

 

異常な極限状態の中で
むき出しの「人間」が試される。

 

草木や水牛が、
人間の作り上げた地獄とは何の関係もなく、
そこに生きている様は、
「戦い」なるものがいかに
「奇怪な妄想」であるかを示します。

 

むき出しの「人間」として倒れている「私」には、
さまざまな妄念が現れ、消える。

「決意」が現れ、消える。
「兵士」が現れ、消える。
「父親の感情」が現れ、消える。
「恐怖」が、
「偶然の銃声」が、
現れ、消える。

気づけば、自分は生き残っている。
生きている。

 

「彼等は担架を肩に乗せたので、
仰臥した私の眼に入るのは眩しい空と道を縁取る樹々の梢のみとなった。
その美しい緑が担架が進むにつれて後へ後へと流れるのを見ながら、
私は初めて私が「助かった」こと、
私の命がずっと不定の未来まで延ばされたことを感じる余裕を持った。
と同時に、
常に死を控えて生きて来たこれまでの生活が、
いかに奇怪なものであったかを思い当った。」

 

今もここを読み、
胸に溢れるものを感じます。
(ぜひ、「俘虜記」全編、読んでみてください)

 

なぜ、おれは生き残ったのだろう?

 

この問いは、
「あいつらは死んだのに」という思いとともに
「私」の中に残ります。

自分の撃つまいとい観念が自分を救ったわけではない。
意志は人を救わなかった。

人間らしい感情が、
撃てるタイミングにその実行を邪魔した。
「厳しい」
「美しい」
「映像記憶から欠落している極端な緊張の感覚=恐怖」
これらがおれを生かしたのか?

 

しかし、
無意識の身体的反応は銃撃の準備をした。
はたして
恐怖と名づけた身体的緊張は、
引き金を引かせなかったか?

 

そんなことはないでしょう。
ここで、ティムならこう言うでしょう。

 

「胃の中からこみあげてくるものを、
私はなんとか飲みこもうとした。
それはレモネードみたいな味がした。
フルーツっぽくて、酸っぱかった。
私は怖くてたまらなかった。
人を殺すということについてとくに考えなかった。
この手榴弾はあいつをどこかに追いやってくれるのだ。
あいつを消し去ってくれるのだ。
そして私は身を後ろにそらせた。」

 

そうだよな。
撃ってたよな。
そして、
おれも撃たれたよな。

 

人間的な感情が
撃つまでの時間を引き延ばし、
偶然、銃声が鳴り響く瞬間を招き寄せた。

そんなふうに言うこともできます。

 

「このとき銃声がとどろいた。
それはそのとき私の緊張も、
近づく決定的な瞬間も
吹き飛ばして鳴ったように、
今も私の耳で鳴り、
私のあらゆる思考を終止せしめる。」

 

「私」はもうこれ以上「思考」しなくていい。
今も耳で鳴る銃声は、
「私」の過去への思いを、
思考を、分析を、妄念を、奇怪な世界を吹き飛ばし、
現実に引き戻します。

「今ここに生きている」

悪夢から目覚めたときに、
あ、夢だった、と感じるがごとく、
銃声は、
「私」を現実へ引き戻してくれるものとして描かれています。

ここは「待ち伏せ」と対照的です。

「でもときどき、
新聞を読んでいたり、
部屋の中に一人で座っていたりするような時に、
私はふと目を上げて、
朝霧の中からその若者が現れるのを見ることがある。」

ティムは逆に、
日常から妄想の世界へ立ち返ります。
何度も何度も。

二つの作品が共通して示していることは、
人間は、どんなに兵士としての訓練を経たとしても、
その生身のからだは、
殺すことを拒み、
自らが死ぬことを拒むように反応し、
植え付けられた兵士の観念を裏切ろうとするということです。

彼らは一時的な「兵士」であり、
例えば「戦士」とか「武士」ではない。

彼らは、そもそも、
大学院の奨学生に決まったばかりの若者であったり、
妻も子もある、フランス文学の研究者であったりする。

そのからだには、ごく当たり前の、
自分が生きることと他者が生きることが矛盾しない世界が息づいている。


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戦場とは、
自分が生きることと他者が生きることが矛盾する異常な世界です。

しかし、戦場を経験しない私たちも
戦場の感覚を理解できないわけではありません。
なぜなら、
自分と他者が矛盾する事態は、
身近にもあるからです。

「やらなきゃやられる」

「俘虜記」のエピグラフに、
「或る監禁状態を別の監禁状態で表わしてもいいわけだ。デフォー」
とありました。

これを私たちは、
「或る戦争状態を別の戦争状態で表わしてもいいわけだ。」
と捉えることもできるでしょう。

私たちはこれらの作品を
遠い世界のできごととしてではなく、
身近に存在する矛盾に気づくために読むこともできるのではないかと思います。

そして二つの作品は、
殺した場合と
殺さなかった場合の相違を示します。

そして、最後に残る問いは、
その運命の差はどこから来るのか?
です。

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「俘虜記」は1945年が舞台であり、
ティムの父親世代が兵士であったときの話です。

極端に言えば、
殺されなかった若い米兵が戦後もうけた子どもが
ティム(世代)だったわけです。

24年後、息子はベトナムに行く。

「勝った」米軍は、
「やらなきゃやられる」という論理を
放棄することはありませんでした。
カイオワがティムを説得していたように。

米軍は世界の警察として、
その後も戦争を続けます。

一方、
日本は戦争を放棄します。

「俘虜記」の示す、
「(他者を/自らを)殺さなかったから生き残った」
というテーゼは、
この国の、生き残った多くの人々の経験と納得の上に生命を持ちました。

しかしこのテーゼはおびただしい悲劇の果てに成り立ったものであり、
純白の、まっすぐな努力の末に獲得されたものではありません。

しかしそうしないと生きられない。

しょぼくれた国の、
しょぼくれたテーゼなのです。

大岡は、
後に「野火」という、
これもフィリピンの戦場を舞台にした小説を書きます。
さらに「レイテ戦記」を。

戦後を代表する作家となった大岡は、
米軍の捕虜になったことを理由に文化勲章を辞退しました。

生き残り、
捕虜になった人間が
純白の〈国家〉から輝かしい勲章を受け取るわけにはいかない。

彼もまた
「撃たなかったから生き残った」というあの場所から
一歩も動くことはできない。

おれは純白の〈国家〉を信じない。


大岡は、
助けられ、
捕虜になり、
捕虜送還船に乗せられ帰国します。

そのとき、その舳先に
汚れ、しょぼくれた日の丸がはためいているのを見る。

船は必ず、
その船籍を示す国旗を掲げなければならないのです。
たとえ、惨敗した国であっても。

そのとき大岡は
この(しょぼくれた)日の丸を自分は信じる
と思うのです。

 

「俘虜記」のもう一つのエピグラフ
「わがこころのよくてころさぬにはあらず」

 

汚辱の果て、

ぶざまに倒れ、

殺さなかった者たちが

生き残った。

 

しかし、
そのおかげで私たちは、
銃声のやんだ後の世界を生きているわけです。

 

文学を通してしか捉えられないことがあります。
今回の経験もそのようなものでした。
この経験の力を再現させるのは、
国語教室の役目だと思います。