私は兵士ではなかった。
私は一人だったから。
俘虜記にあるこの認識が、
私たちの「希望」です。
ティムは
その瞬間、何かがいっぱいになる。
投げるな、という声。
投げるんだ、という声。
私たちは
集団にいるとき、
常にこの二つの声にまとわりつかれているのではないでしょうか。
集団には二種類ある。
一つは人をどろどろに融解してしまうような集団の力学が働く場所。
もう一つは、
完全に一人、であることが保たれている場所。
そういう「一人」たちが、
独立に対等に静かに微笑んでいる場所。
そういう「一人」がたくさんいて、
お互いを支えあっている場所。
芥川の「蜘蛛の糸」で、
その糸にぶら下がっている集団は、
前者。
蓮の池で、
ゆらゆらと
独立したまま揺れている
蓮たちは、
後者の表徴ではないでしょうか。
教室が後者の場となるように。
戦争文学から、
そんなことにも気づくように思います。