国語教育いろいろ

高校、大学の現場での議論のいろいろです

間の文化 教科書教材を批判する視点

長谷川櫂「間の文化」の模擬授業後の協議は、
批判的に読む、
ということの実例みたいになってましたね(笑)


誤解なきように書いておきます。
間、に注目した長谷川さんの文章、
興味深くないというわけではありません。

間、と呼ばれているものの働きは、
長谷川さんも書いているとおり、
切ることとつなぐこと
にあると思います。

それが、日本独自の文化だとは思いませんが。

ただし、それを和、という議論につなぎたいなら、
切ることとつなぐことの原理を
もっと
精緻に論じるべきだと思います。

みなさんが指摘した通り、
最後の部分は、切る話だけで、
どうしてそれが、和に昇華するのか、
まったくわかりません。

とはいえ、
対立するものの和、
正反合の合に至る過程に
日本語で間、と呼んでいる概念が関係しているというアイデアはおもしろいし、
理由のあることだし、
まったく違う例にその根拠を見いだすことも可能だと思います。

心理的な間、
に関係することなら、
例えば、臨床心理学の現場に
間の機能の実例を見ることができるでしょう。

俳人長谷川さんなら、
俳句に仕組まれた間で論じることができるはずです。

たぶん、
どこかで言ってると思うけど。


(もう、西洋対日本、みたいな、
 対比はやめにしましょう。
 そもそも、西洋ってなんなん?(笑))


批判という日本語が誤解を招いていると思います。
批判ということばでやろうとしていることは、
分析したり、視点を変えたり、問いを取り出したりすることです。
視点を変えて読む、と表現を変えた方がいい。

「政府批判」とかいうのも同じで、
ただひたすら、やっつけよう、否定しようというのではなく、
視点を変えて見るべきだ、
違う対象に視線を送ってほしい、
と相手に要求することです。

間違えてはいけないのは、
批判は――視点チェンジは、
まず書き手の視点に添い、理解しようとしてから行わなければならないということ。
まず、虚心に、そのテキストの指示するとおりに受け取る努力をすること。
そこに自分の未知の視点が含まれている場合もある。
それがとても意味深いものであることもある。

理解した上で、視点を変える。
これが原則。

まあしかし、読み始めるや否や、
違和感があふれ出てしかたないような文章もなくはないけど。
例えばーーやめとこ。