国語教育いろいろ

高校、大学の現場での議論のいろいろです

「論理、論理」の合唱

なぜか、2018年12月3日の対談が今、
掲載されている(2021.11.10)。
https://www.taishukan.co.jp/kokugo/media/blog/?act=detail&id=39

 

「論理、論理」の合唱への記録の一つとして。

 

野矢:でも、だいぶ小学校、中学校は変わってきていると思いますね。高校はまだ遅れているけれど。
新井:国語っていうのは、文学ではなく、国語なんですね。だから、日本語で書かれている文章がきちんと読めるようになること、例えば数学の問題文が正しく読めるというのは、数学ではなく、国語の役目だと思います。
野矢:国語って、全教科のベースになるものですからね。もちろん、文学は文学で、また別にきちんとやるべきだとは思います。でも、優先順位の問題ですよね。

・高校は遅れている
・国語と文学は違う。
・文学は優先順位が後。
・国語はあらゆる教科のベース。

なんとなく、世の中、を漂っていた言説が再生産されている。
根拠は示されない。

「数学の問題文が正しく読める」ための指導は数学でやればいい。
「数学の問題文が正しく書ける」ための教育も、数学の教科教育でやってもらいたいな。

野矢:高校がいちばん変わらない理由は、大学入試が変わらなかったからでしょう。大学入試の国語は、一度読めばわかるような文章を使って問題をつくるノウハウをこれまでもっていなかったと思うんですよね。だいたい、二、三回読まないとわからない文章を示して、二、三度読ませる時間を与えずに解かせる問題なんてナンセンスなんですよ。

・裏返せば(形式論理学的に正しいのかどうか知らないけど)、
大学入試が変われば高校教育が変わる、という、よくある認識。

・(命題)大学入試が変わらない → 高校教育は変わらない
・(逆)高校教育が変わらない → 大学入試は変わらない
・(裏)大学入試が変わる → 高校教育は変わる
・(対偶)高校教育が変わる → 大学入試が変わる

・高校の国語教育が、大学入試を目標として営まれている、という前提に立っているけれど、その前提は本当かな?
・大学入試は変わっていない、という前提は正しいのかな? 根拠は?
・大学入試が変わらないから、教科書も変わらないし、教育も変わらない、のかな? 本当かな?