以下、学生の感想の一部です。
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今回授業で扱った「待ち伏せ」と「俘虜記」。その他にも○さんが投稿してくださった「ヒロシマの歌」や「おかあさんの木」など、沢山の戦争文学作品に触れさせていただきました。
後悔や悲しみ。
恐怖や暴力。
殺した兵士と殺さなかった兵士。
そして生き残った者と死んでしまった者。
これらが複雑に入り組み、世代の違う私たちが「今」ふと見返した時でさえ、その奇妙さに戸惑う瞬間があります。けれども私はその瞬間を何度も感じながら、私は当事者ではないのだという罪悪感と違和感が、戦争文学を読むと必ず自分の中にありました。
「俘虜記」は1945年が舞台であり、
ティムの父親世代が兵士であったときの話です
極端に言えば、
殺されなかった若い米兵が戦後もうけた子どもがティム(世代)だったわけです。
先生の書いてくださったこの文章は、私にとって、とても印象深いものでした。
かつて戦争があり、その先に自分たちが存在している事実、平和な「今」があるという不思議さ、罪悪感と違和感を感じながらも、戦争文学作品を教材として扱い内容について議論すること。
それは、私たちもまた戦争によってもうけられた「子ども(ティム)」であり、キャスリーンに伝えるべき立場になる「大人」になろうとしているのではないかと思います。
生き残った人々が紡いだ命が自分たちであるならば、私たちは、戦争における思考や感情、歴史的事実を一緒に紡ぎ、キャスリーンのように問いかけてもらいたいたいのだと思います。
答えることのできる「大人」になるために。