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源氏物語「夕顔」を読んで

文系 源氏物語「夕顔」を読んで

2022年高校3年生のコメント

 

●源氏が気味悪く感じながらも強がっている描写や、右近が恐怖でうろたえる描写はあったけれど、怖がりな夕顔が怖がる様子は直接的には描写されていなかったので、余計に終盤で夕顔が息絶えた場面が印象的だった。
  ▼確かに夕顔の顔や声はまったく浮かびません。――最後を読めばわかるように、「夢」で女が彼女に手を伸ばした瞬間から、夕顔の顔は――目も鼻も口も女にふさがれていたわけです。彼女に何が起こっているのかは、汗や息や、間接的に伝わってくるものでしかわからない。直接描写がないのは、作者の計算によるものですね。

●初めは原文を音読した時に場面はほとんど思い浮かばなかったが、精読した上でもう一度読んでみると,場面が頭の中に映像として流れてきて、その中で不安そうな、でも強がっている源氏の表情まで頭に思い浮かんだ。また、ストーリーは元々知っていたところもあったけど、紫式部の場面の描写の仕方には驚いた。真っ暗なところに声だけが聞こえて話が進んでいく場面では、読者を無意識のうちに不気味な情景を思い浮かばせているんだな,と思い、驚いた。
  ▼手間はかかるけれど、原文で読む醍醐味がここにあります。すぐわからないからこそ、ていねいに読む。ていねいに読むからこそ、描写の細かいしかけにも気づくわけです。「源氏」は、マンガや超訳や映像や、色んな形で再表現され続けています。それらももちろんおもしろいのですが、「食べやすい」ものに対しては、私たちは「よく噛まない」のです。たまには(笑)、原文もいいですよね。

●右近の存在が話を面白くしていると思う。怖がりすぎな夕顔や、気丈に振る舞う光源氏と違って、普通に怖がって暗闇を嫌がったり、夕顔を心配しつつも夕顔が死んだら泣くような一般人の反応だったので、話に入り込みやすかった。
  ▼確かにここに右近がいなかったら、こういうときの「一般人」の反応例、が抜けてしまうよね。「一般人」代表、右近(笑)。右近の異常な反応を通じて、この夜の恐ろしさが伝わってきます。また、右近は夕顔の代弁者でもあります。源氏と右近のやりとりを示すことで、夕顔の陥っている状態が推測でき、また、源氏自身の心情が透けて見えるしかけになっていますね。

●真っ暗なことに加え、「山彦の答ふる声いと疎まし」や「風すこしうち吹きたる」のように廃院の不気味さを強調する表現が散りばめられていることに感心した。ただ、廃院についていた物の怪が何故夕顔に嫉妬していたのか、あのお化けは一体何者だったのかが気になる。
  ▼夕顔はとんだとばっちりを受けた、のではないかな。「嫉妬」という名の怨念のもののけ。ここには、実際に嫉妬に悶え苦しめられた(幾多の)女性の存在が示唆されています。現代のジェンダーの視点から「源氏」を読むと、この作品には、女性を翻弄する「男性的なるもの」への批判眼を至る所に感じることができます。――紫式部が、道長という、超絶的に男性的・権力的な存在のすぐそばにいたということも考えに入れてみたいところです。

●源氏が何度か夜は音が響いて気味が悪い、と言ったり、情景描写で作者風が少し吹いていることに言及したりして、その場に漂うただならぬ恐怖感を表している。源氏が宮中に思いを馳せている場面などのように源氏の心の動きがかなり詳細に書かれている。
  ▼「山彦の答ふる声いと疎まし」「風すこしうち吹きたる」といったスケッチを効果的に挿入する技は天才的です。書けそうでなかなか書けない。視覚が排除され、音や風を感じさせられることで、読者も源氏といっしょに、冷え冷えしたおののきや異様な心細さに感染していきます。情景描写に心情を響かせる技を感じますね。

●登場人物の様子や、考えていることからその人の心情を細やかに表していて素晴らしいと思った。特に、夕顔が亡くなる瞬間や亡くなった後の源氏の、強がろうとするが不安に飲み込まれてしまう感じが、現代人にも当てはまる心情で共感しやすくて良いと思った。
  ▼どうにもならず「飲み込まれる」感じですよね。初めの方に出てきた「うたて」という語には、「物事の度合が異常に進んではなはだしい意。いよいよただならず。」とか「否定的な方向に進んだ異様な気持を表わす。気味悪く。」という意味合いがあり、「うたた【転】」と同根です。事態がどんどん進んでいく渦中にある人間の心理を的確に表現していますよね。確かに現代でも「大丈夫だよ、まだまだ」って思っているうちにパニックに陥るということはありますね。

●夕顔の顔の上に別の顔が映って見えたのを想像するだけでゾッとする。夕顔が死ぬ間際に体が冷えていったという表現が生々しく死を感じさせた。チャラついた光源氏への罰のように思えるが、それが、結果として夕顔が死ぬことになったのは少し悲しかった。
  ▼夕顔の顔、夕顔のぬくもり。つい先刻まで触れ、味わっていた、その生や欲望の息吹を残酷に奪ってしまうのですね。急転直下。――源氏に近づくと何か大きな事が起きてしまう。「源氏」の世界には、人間世界の底に流れる深い川のようなものに触れる感触があります。

●ほとんど全ての文(台詞除く)が現在形で書かれている。古文の特徴である一文の長さも相まって、まさに眼の前で、現在進行系で、滑らかに出来事が進んでいく。そしてそれは読み手を引き込むような臨場感を生み、その光景が読者自身に迫ってくるような感覚を味わわせる。
▼確かに。源氏が想起するところ以外、「けり」が出てこないね。切迫感、とどめようなく進行する感覚を、長いジェットコースターに同乗しているような文体で表現しているんですね。

●火が来るまで視界が真っ暗だということが、文章の工夫によって表されているところが印象的だった。光源氏はしっかりしていて、頼もしい部分もあるけれど、本当は強がっていて、怖いと思っているということが垣間見えた。夕顔が亡くなってしまったことを認識した右近と光源氏の様子がとてもリアルに感じられた。
▼二人で認識するところが生々しいですね。認めざるを得ない現実。ふぬけたようになった源氏の表情が浮かんできます。

光源氏の心情はもちろんだが、右近などの心情も本人たちの心の中から描かれているので読みやすかった。場面の移り変わりが光源氏の行動に沿ってなめらかに移り変わっていて感心した。気味が悪いという表現が色々な言葉で表現されていたけれど、現在だとどれも気味が悪いという訳になるのだろうけれどに、実際は微妙な違いがありそうな気がする。。光源氏の反応が偉そうな感じを出してるけれど、「やっぱり少年だわ」ってなるリアクションが所々あって読みやすかった。
  ▼あえて、「気味悪い」という訳語でそろえましたが、そのとおり、ほんとうは違いがあるはずですね。例えば「おどろおどろし」には「おおげさ」という意味もあり、雨が激しくて「おどろおどろし」といったように、物理的な「激しさ・多さ」を伴う感じがあります。一つ一つの語源に注意してみるとおもしろいですよ。

●夜が本当に真っ暗で何も見えないことがこの話をより恐ろしくし、雰囲気を出させていると感じました。源氏が内心はすごく恐れているが、夕顔や右近の前ではなんとか気丈に振る舞おうとする様子が何度も書かれていて、源氏の性格がなんとなく分かりました。
  ▼源氏君を先入観で見ないでね(笑) 宝塚なんかが造形するヒカルサマ♪というのもちょっと違うけど、女たらしのヤなヤツ、だけというのも違う。たぶん、今、現れたら、「あ、いいな。クラスの男子とは違うな」なんて思いそうなヤツなのです。この(SF的)設定が、この長編の推進力です。ある種の願望が造形されている。宮中のことを描いているのに、「これはオハナシだからね」と〈宮内庁〉(笑)からも許されていたのはそのためです。しかし一方、この(SF・マンガ・ファンタジー的)主人公がもたらす物語の現実は、現実以上に現実っぽい。女性週刊誌も真っ青、といった感じの〈皇室暴露話〉にもなっているのです。

●行動の描写は俯瞰的でありながら、暗闇では情景描写を視覚以外に頼って表現したりと、読者に登場人物と同じ足枷をかけられていて、映像というよりは劇を見ているような臨場感を持たせている。
  ▼「劇を見ているような臨場感」というのは上手い表現やね。俯瞰視点と暗闇をいっしょに手探りで歩く「お化け屋敷」視点が見事に組み合わされてますね。さすが、創作体験者の目のつけどころはちがう!

●その場で何が起こっているのかありありと想像できた。源氏が夕顔のもとに戻ってきたときに、二人とも倒れていたのが衝撃だったが、同時にその間にあったことがすぐに推測された。夕顔が亡くなる展開になるとは思いもしなかった。その時の源氏の気丈にふるまおうとする行動、心情が臨場感がたっぷりあった。
  ▼いったん場を離れる、カメラが移動する、という効果をうまく使ってますよね。描くばかりが能じゃない。描かないことで表現する、という手があるわけです。このあたりの手法、紫式部は先行する文学からいろいろと学んでいるんじゃないかな。例えば「伊勢」の「芥川」。恋する女を誘拐した男が雨宿りし、一夜を明かすと女はいない。女が消えた瞬間は男には見えていない。あれも、描かないことで表現する、です。

●夕顔は19歳で光源氏も17歳か少し上くらいだろうに、光源氏は夕顔や右近のことを子供っぽいと言ったり、気丈に振舞ったりしていて、自分に自信があって、高い地位があって自己を確立しているからこその態度なのかと思った。頼る人もおらず、怖がる右近しかいないどうしようもない状況の切迫感が伝わってきて面白いと思った。
  ▼まだ自己は確立していなかったと思います。気丈にふるまおうとしているだけなんです。「どうしようもない状況の切迫感」。パニックになっている源氏クンの様子が浮かべはオッケー!

●全体的に廃院の不気味さ・恐ろしさが感じられる描写が多かった。特に物の怪が現れるところで火が消えたのがぞっとした。適度な情景描写があることで場面を想像しやすくしていると思った。
  ▼もののけが火を消すなんて、私たちは非科学的なお話と処理してしまいますが、当時はあるリアリティーをもって受け取られていたと思われます。近代でも、フロイトの弟子のユングは、そういう現象は心理学の研究対象になると考えました。ユング派の分析家だった河合隼雄を師とした村上春樹は、ある人の思いが時空を超えて物理的に現象する話をいくつも書いています。

●効果音や細かい状況の描写、助動詞の使い方で場面をリアルに感じさせていると思う。自分も同じ場面にいるように読み進めることができ、暗闇やもののけの気配を感じながら物語に引き込まれた。これからの源氏がどうなっていくか気になる。
 ▼この世界的文学、ちょっと原文でチャレンジしてしてみては? 日本語話者の特権だぜ。

●夜に明かりのない闇の中だからこそ、ちょっとした音に敏感になっている様子が顕著にあらわれており、読者により気味悪く感じさせていると思った。夕顔の顔に物の怪の女が映った場面を読んだ時、思わず鳥肌が立った。光源氏の言動に臨場感がありどんどん読み進められた。
 ▼鳥肌、立つよね。そんなことあるか、と思わせないところがすごい。千年間、読者はみんな鳥肌立たせてきたわけです(笑)。

●暗闇を想像しながらこの物語を読むと、物語のさらなる深みや味が滲み出てくるように感じる。また、源氏が孤独や不安を感じている様子が、宮中を思い出している描写を通して間接的に表されているところが面白いなと思った。同時に私達と同じ歳の源氏にここで初めて親近感を感じることができた。
 ▼「親近感」感じてください! スーパースターという設定は、物語の都合上にすぎず、じつは、そのへんにいるわれわれと同じ人間。孤独であり、不安であり、手にできないものに憧れ、失望したり、調子に乗ったり…。――ただ彼は普通ならためらうようなこともやっちゃいます。例えば、紫の上を誘拐したり……。やっちゃったらどうなるのか? われわれの代わりに、彼がその顛末を見せてくれます。

●音、触感、明かりなどが効果的に表現されていることで暗闇の恐怖感が際立っていて、読んでいて自分もその場にいるような臨場感が味わえた。光源氏は、私達と同じくらいの年齢だけれど大人びているという印象を今まで持っていたが、意外と私達と変わらないんだなと親近感が湧いた。
  ▼ヒカル~って呼んでくださいね(笑)。古文に出てくる人って、総じて「年上」に感じてしまうんです。名前もいかついし。だまされないように!

●暗闇での描写を視覚にほとんど頼らず、聴覚や触覚を用いて表現しており、その場の緊迫感や恐怖の様子がひしひしと伝わってきた。そのような状況下で、夕顔にこれ以上不安を与えまいと気丈に振る舞いつつも、やはり恐ろしいと感じ怖気付いてしまう光源氏は、人の上に立つ偉い立場でありながらも、案外年相応な青年だと思った。
  ▼夕顔は最初から反応不能な状態だったけどね。――そうですね。年相応な――けっこうむちゃな青年です。
  
●主語がないので、誰の発言か考えるのは少し難しいけど、情景描写は詳しくて、暗さとか、部屋の様子だけでなく、音の響き方まで表現されているのでイメージしやすかった。もののけを怖がる様子も表現の仕方が一通りではなくて、右近や源氏の心情に共感できた。源氏が弱々しい男じゃなくてよかった。あが君、生き出で給へのセリフは臨場感がでるなと思いました。もののけが廃院にいるものだとすると、どうして源氏じゃなくて夕顔に取り憑いたのかなと思いました。夕顔は源氏に連れてこられただけなので不憫です。
  ▼「もののけに怖づるさまのありやう、なのめならず」って感じかな(笑)。「あが君、生き出で給へ」は感極まってるね。「源氏じゃなくて夕顔に取り憑く」というのは、この「もの・がたり」の肝かもしれない。源氏は自分の行為、ひいては自分の存在によって、自分を含んだ周囲の運命が変えられてゆく姿を目の当たりにし続ける人として設定されています。これは、じつは誰もがそうなのかもしれないのだけれど、私たちはそれに気づかない、または、見ないふりをしているだけなのです。