(2020.10.04)
●文法の扱い
本文を初見で独力で制限時間内に解釈する、という条件の中では、
文法知識が自然な感覚として働くように訓練されている必要があります。
そのこともあって、これまで文法にかなりの時間が割かれていました。
しかし一方、文法のせいで、
古典ひいては国語が嫌いになった生徒をヤマほど生んでしまったでしょう。
また、教師は文法のことを繰り返していれば、〈楽〉なのです。
新指導要領は、教師が文法と現代語訳を「解説」する、
といった授業の改善に照準を合わせています。
根拠は、「そのせいで、みんな古典がきらいになっているから」という調査データです。
しかし、指導要領にいわれるまでもなく、心ある教師はそんな授業はしていませんでした。
古典を学ぶことが、その言葉の生活も含め、彼らの生涯にとって意味のあるものになるように授業を設計しようとしてきました。
現代語とは異なった/同じ所もある、言語モードと向き合うことで、
現代人とは異なった/同じ所もある、過去の人々の考えや感じ方に胸打たれるような経験をすること。
それが、今の自分/自分たちの中に種子として降り立ち、根をはり、
生活を拓くものに育つこと。
歴史的に縦断する日本語共同体の中の一員となるための科目なのです。
文法、ということもその中に位置づけられるべきでしょう。
その必要性を改めて見つめ直せば、
扱い方についての答えは出ると思います。