国語教育いろいろ

高校、大学の現場での議論のいろいろです

本文を見て写すということ

本文を見て写すということ


⭕️本文を書き抜くことについて

小学校でやったことがあると思いますが、
視写という活動があります。
本文を見て写す。
これにはこれ自体のめあてがあります。

かつては本文筆写そのものが
学問の出発点でした。
慣れてくると、
一定の意味のかたまりを表記とともに
頭の中にコピーし、
それを手を通して筆写できるようになります。
記号を一つ一つ写している段階から
意味を理解しながら写す段階への移行です。

小説書きの修行として
憧れている作品を視写をする人もいます。
目で読んでいるときには見えなかったものが感じ取れて
作者の創作を追体験するような感覚が得られるからです。

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これらには
写す理由があるのですが、
今日のように一部を穴埋めすることには
どんな効果や意味があるのだろうか。
そう考えてみる必要があります。

この作業をやり終えたとしても
本文を理解したことになるのか、
ということです。

そうだとはなかなか言えませんね。

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何かの穴埋め的な作業をさせながら
読ませないといけない教室はあると思います。

私の最初に勤めた学校(新設の公立校)では、
穴埋め的なワークを中心に
授業を進めている国語の先生がいました。

ワークシートが完成したとき、
学習が完了し、
それを保管し復習すれば、
試験にも対応できる。

ただ、その穴埋めはいろいろと工夫されていました。
単純に見つけて埋めるようなものから
少しずつ頭を使わないといけない、
写すだけではできない、
でもしっかり読めば全員書ける、
そういう問いに順次移行していくように作られていました。

今日の授業のように
その授業でも「正解」は先生が言っていましたが、
生徒はできた!という満足感があるのか、
けっこう集中していました。

私は、そういうのばかりで進めるのは
いかがなものか、
と生意気にも思っていましたが、
教室の実態から考えると必要な
方法の一つかな、と思い直し、
一部取り入れたこともあります。

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私なら、同じ抜き出し的作業でも
指示内容や主張の中心の文など
ひとまとまりの文単位の部分を狙います。

そして、
それをそのまま抜き出すのではなく、
例えば、本文が五十字だとしたら、
四十字に圧縮整頓して記すようにさせます。

このとき学習者は、

⭕️どこに書いてあるのか、前後の文脈や構成をたどり、

⭕️該当箇所を発見し、傍線を引き、

⭕️それを抜き出したうえで字数や文末が合うように言葉の調整をしなければならない。

読み、
問いの答えとしての妥当性を確かめ、
書く。

この過程で否応なしに理解が進みます。
これはプチ要約をやってるわけです。
でも、みんなできるような形にする。

このとき、
彼らはいろんな「言葉の筋肉」を使ってます。

スクワットは一度やるだけで
いろんな筋肉が鍛えられるそうですが、
言葉の筋肉を鍛えるときも
同じです。

 

参考。

Amazonのレビュー: 読ませたいなら、書かせなさい https://www.amazon.co.jp/gp/aw/review/4337661042/R2VE8OL2MP5JCX?ref_=cm_sw_r_apin_dprv_0YYQYVZ181FF342QHMD9&language=en_US