国語教育いろいろ

高校、大学の現場での議論のいろいろです

一〇〇%の女の子が僕を僕にしたこと

一〇〇%の女の子が僕を僕にしたこと

 高校生が読書会を始めた。高一の男子二人と女子一人、それに若い国語教師がつきあっている。私も図書館の当番をさぼって、少し顔を出した。一階の隅、森を背にした薄暗い資料置き場に下りていく。
 彼らが読んでいたのは、村上春樹の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」という短編だった。『ちくま小説入門』という本に入っていた文章を、言い出しっぺの女子が選んだ。
 こんな書き出しだ。

 「四月のある晴れた朝、原宿の裏通りで僕は100パーセントの女の子とすれ違う。 
 たいして綺麗な女の子ではない。素敵な服を着ているわけでもない。髪の後ろの方には寝ぐせがついたままだし、歳だっておそらくもう三十に近いはずだ。しかし五十メートルも先から僕にはちゃんとわかっていた。彼女は僕にとっての100パーセントの女の子なのだ。彼女の姿を目にした瞬間から僕の胸は不規則に震え、口の中は砂漠みたいにカラカラに乾いてしまう。」

 しかし「僕」は話しかけるすべも知らず、二人はすれ違ったまま人混みの中に消えていく。しかし、「僕」は思いつく。彼女にこう話しかけるべきだったんだということを。

 「もちろん今では、その時彼女に向ってどんな風に話しかけるべきであったのか、僕にはちゃんとわかっている。」

 それは、こんな風に始まる「お話」だ。

 「昔々、あるところに少年と少女がいた。少年は十八歳で、少女は十六歳だった。たいしてハンサムな少年でもないし、たいして綺麗な少女でもない。どこにでもいる孤独で平凡な少年と少女だ。でも彼らは、この世の中のどこかには100パーセント自分にぴったりの少女と少年がいるに違いないと固く信じている。ある日二人は街角でばったりとめぐり会うことになる。」

 二人はお互いに100パーセントの相手に巡り会えた奇跡に歓喜する。ところが彼らは、運命を試してみようとする。一度別れ、再び100パーセントのお互いとして出会えるかどうかを。
 そして運命は「悪性のインフルエンザ」によって二人から記憶を奪う。さまざな人生経験を経て、少年は三十二歳になり、少女は三十歳になる。四月のある晴れた朝、二人はすれ違う。微かな記憶の光が二人の心を照らすが、その光は弱い。二人はことばをかけあうこともなく、人混みの中へ消える。

 小説は、「……悲しい話だと思いませんか。僕は彼女にそんな風に切り出してみるべきであったのだ。」と終わる。
 高校生たちは、100パーセントっていうのはどういうことなのか、とか、女の子っていうのは、女性、というのとはどう違うのか、などと話し合っていた。五十メートル先からすれ違うには何秒かかるのか、という計算もしていた。なかなか緻密な読みだ。
 ふとした合間に、男子の一人がなんだか遠い目をして「ぼくには100パーセントの女の子なんか現れない」とつぶやいた。
 みんなが笑った。

 私は当番のために二階に引き上げたけれど、「ぼくには100パーセントの女の子なんか現れない」ということばに張りついたものを反芻していた。これから運命を試そうとする十代でもなく、ことばなくすれ違う三十代も通り過ぎ、半世紀以上を運命の中に漂うてきた場所から浮かぶことばは、「ああ、100パーセントの女の子にはもう出会っていたんだな」というものだ。
 もっと言おう。
 100パーセントの人には、いつでもすでに出会っている。それが長く生きてきた者の実感だ。私たちが忘れているのは、かつて、100パーセントの人に出会ったということじゃない。それに、私たちが気にしなくてはいけないことは、将来100パーセントの人に出会えるかどうかということでもない。
 君たちが、図書館の1階の隅で、十代のある薄暗い冬の夕刻を過ごしているということは、もうそれだけで、100パーセントなんだよ。君たちが、クラブを抜けて、そこにそのように集まろうとしたことが、すでに勇気なんだよ。

 漱石の小説「夢十夜」の「第一夜」で、夢の中の女は「百年経ったら遭いに来てください」と口にする。夢の時間がくるくる回る。――その終わり、「私」はこう思う。「百年はもう来ていたんだな」。
 私たちはつねに「百年後」を生きているのだと思う。百年前に何があったか。それは命の時間を超えているからわからない。私たちにわかることは、今ここにしか運命はない、ということだけだ。
 運命と呼ぶものを、確率の問題じゃなく、100パーセントの確かさに変換してくれるのが、他者だ。それはいつもたいてい、たいしてかっこよくもなく、素敵な服を着ているわけでもなく、髪の後ろの方には寝ぐせがついたままのようなヤツじゃないかな。もちろん、年齢も問わない。
 私たちに必要なのは、ちょっとした勇気、だけなんだろうと思う。