話し合いの形
送られてきたレポートの中で
話し合い、グループワークについて触れたものが目立ちます。
模擬授業でも、
話し合い、グループワークという活動が、
授業の核になることが多かったですね。
場が生き生きとし、
個々の思考も動きます。
一方、課題も。
少しまとめてみます。
ーー
話し合いについての反省で、
いつも行き着いていたのは、
⭕️何のための話し合いーグループワークか?
でした。
それは「別にグループやペアでやらなくてもいいんじゃない?(むしろ一人で考えたい)という感想がわいたり、
「何を目指して話し合ってるのか、よくわからない」という状態になったりしたときに浮上してくる問題でした。
⭕️話し合うことの利点は何か?
これをしっかり意識して、
授業の中に位置づけ、
生徒たちもようく納得して取り組めるようにする必要がありますね。
ーー
大雑把に言って、
話し合いには、大小2タイプあると思います。
⭕️理解を確認したり、書く内容を掘り起こすための補助的な相談
もう一つは、
⭕️大きな問い(意見、解釈が分かれる可能性もあるような)について考えを深めていくもの
(ほんとは3つ目もあるな。それは、⭕️雑談。いわゆるアイスブレイキングとしてやるやつね)
ーー
日常の話し合い、相談の次元を思い浮かべてもこの2タイプがあることに気づきます。
「あれ、なんやったっけ。これでええんかな」
「おれはこうかなって思うねんけど、どうかな」「私はこう思うわ」「あー、それもありやな」
こんなのは、前者の〈相談〉です。
ーー
「次の大会やねんけど、もう前みたいな失敗はしたないよな。どういう戦略でいくか、今日は話したいと思います」
キャプテンがこんな風にマジで始めるようなのは、後者。
ーー
二人で話すのか、
四人で話すのか、
どのくらいの時間をとるのか、
進行や記録係を置くのか、
班の意見をまとめるのか、
まとめた意見を全体で共有するのか、
一つの答えに集約するのか、
それぞれの答えのままにするのか、
この話し合いから次の問いを取り出すのか、
‥‥こういうことは、
どれもその目指すところによって決まります。
⭕️私たちは目的に合わせて方法を選択する
ここについて自覚的でないといけない、
これが繰り返し課題として出ていたと思います。
ーー
みなさんはどんなことでも話し合える〈からだ〉になっていましたが、
教室によっては必ずしもそうではない。
⭕️何か言いたい、言うべき内容を持っている状態にする
教師の役割として重要なポイントです。
大きな問いについて、いきなり、
「さあ、話せ」
と言われて話せる中高生はそんなに多くない。
ていねいに段階的に
⭕️全員が何か言える
状態に持っていく。どうすればいいか。
授業を構想するとき、その試行錯誤がなされないといけません。
ーー
教師は生徒が頭の中で考えていることは見えません。
沈思黙考して何かメモしてるような、
そういうとき、じつはもっともよく言葉の神経が動いています。
その時間はとても大切。
で、たとえば、その思考の断片をアウトプットできるような課題、ワークシートなどを工夫する。
その作業の様子を教師は巡回してモニターする。ここでの発見がとても大事だと、経験から思います。
お?と思う。で、これは?と尋ねる。
本人も、まだ断片なんだけど、聞かれたから、
何か言う。教師はその尻尾をつかんで、少し引っ張り出す。形になってないものを、ちょっと形にさせてみる。
おー、それおもしろいな。なるほどー。あとでグループで話すとき、みんなに言うてな。
こうしておくと、その子はもう言いたいきもちになってきます。
これは
⭕️話す前にメモなどで内容をアウトプットさせる
という方法です。
この段階ではまだ断片的で混沌としていても
このタネがあれば、話に参加できる。
モチベーションが生まれます。
⭕️〈書く〉と〈話す聞く〉をうまく組み合わせる
ーー
40人を相手にするときは、
班に分けるのがふつうですが、
四人班にしても10班できます。
一人で10班に対応するのはなかなかたいへん。
班への対応、個々への対応、そして、教室全体のコントロールも同時におこないます。
さらに、それらをどう集約し、共有するか、も考えておかないといけません。
このときもやはり、書く、という活動を組み込むことが鍵です。
ーー
声がしている話し合いの時間。
一人で考え、書いている静かな時間。
発表を聞いている全体的な時間。
先生が話している聞く時間。
こういうさまざまなモードの組み合わせが
国語教室です。
これらのどこかのタイミングで、
あるいは聴きながら、
書く、ということを入れていく。
最近はメモ→投稿という形もよく取ります。
また、
班での意見の集約に
全員で編集できるICTの機能を使うことも。
書かれたものがあれば、
その場ではできなくてもあとから編集、共有できます。
書くことで
話し合いがその場で消えてしまわず、
からだに刻まれるものになります。
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五限の最終回でやられた
「哲学対話」という形は興味深かった。
半数が輪になって椅子に座り、
半数はそれを取り囲んで机付きで座る。
椅子組が話し合い、
机組は聴きながらメモを書く。
このスタイルは、
班別に、孤島のように離れていた話し合いを
全体で行う工夫になっています。
後半、机組はメモを白板に貼った上で
椅子組と交代し、今度は話し合う番になる。
話すー聴くー書くー貼るー読むー共有する。
40人では、同じ形は物理的に大変ですが、
やれないことはない。
四限で行われたパネルディスカッション、
また、シンポジウムのかたちは、
話すチーム/聞く(書く)チーム
に分ける点で哲学対話の形式に近いものがあります。
応用として、
ある班の話し合いそのものを
みんなでモニターし、
それを刺激としてフロアが発言する、
またさらに班に分かれて議論する、
といった形が考えられます。
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こういう話し合いのいろんなスタイルは
繰り返し体験することが効果的です。
慣れること。
現代の国語の教科書資料にあった
いろいろな話し合いのスタイルを
もう一度見てください。
どんなときにはどれが適しているか、
みなさんにはわかると思います。
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社会的にも
話し合いのいろんなやり方が
試みられています。
それぞれに目的があり、
それに適したやり方が追求されています。
その中には国語教室でも応用ができるものもあると思います。
大学の他の授業で経験した方法なども
積極性に取り入れてみてくださいね。
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参考にいくつかリンクをつけておきます。
哲学対話
https://kansai.p4c-japan.com/docs-jp/guides/
オープンダイアローグ
https://www.fukushi.metro.tokyo.lg.jp/seikatsu/hikikomori/kyougikai/R050213.files/13_shiryo.pdf
交渉学
https://synodos.jp/opinion/info/19602/
(関西大学は拠点の一つ。土五限の先輩(今は国語の先生)もやってました。私も見に行きました)