国語教育いろいろ

高校、大学の現場での議論のいろいろです

実態から素朴に導く

レポートのなかの、
「しかし、あまり自由にしすぎると国語の苦手な生徒はうまいこと書けず、国語の苦手分野がまた一つ増えてしまう。」
というところ、
そのとおりです。
自由、でいいなら、指導者は要りません。

例えば、私の勤務校では、
語彙はそこそこ眠っているのに、
「高校入試の小論文」に痛めつけられ(笑)
ことばの身体がガチガチになっている子がたくさん入学してきます。
これは、国語科の教師みんなが感じることです。
で、
どうするか。
ほとんど町の整骨師みたいなんですが、
「好きな食べ物は何」という、
ぜったい何かいえることから入っていくのです。
しかも単語でいえますよね。
問いを立てて、論証して、とか、なんにも関係ない。
毎日何か食べてる。
それを、隣の人に口で言う。
ほんとに、そういうところから、
ことばの身体を解きほぐしているのです。
しゃべる、そして、少し、書く。
理由、じゃなく、その食べ物自体をなんとか、「描く」。
だんだん、
「みんなにこれ、食べてみてほしい」
というメッセージがわいてきます。
書きたくなってきます。

そして、みんなの前でスピーチをするのです。
そのころには、
だいぶことばの身体にも血が巡ってきます。

こういうのが、
入学最初の「リハビリ」の1つです。
そして、少しずつ、テーマや論理を変えつつ、
教えつつ、
考え、書くことを進化させます。

現場はこのように実態を見て、
処方箋を考えているのです。
語彙の少ない子もいるでしょう。
言葉そのものが傷ついてる子が多い教室もあります。
母語が日本語でない子が一定いるばあいもあります。
整骨院にくる患者さんのからだの状態がいろいろなのと同じです。

実習では、最初はよくわからないかもしれませんが、
教室の実態、漂う視線や表情、漏れてくるつぶやき、
活動や発言の様子、を見て、
課題を見つけようとしてみてください。

そのとき、
ふ、と構想が立つと思います。

土曜の時間は、
そういう構想の種に満ちていたと思います。

ここからスタートですね!