国語教育いろいろ

高校、大学の現場での議論のいろいろです

随想型で書く意味

今日の模擬授業での随想とは、という投げかけ、ありがとう。意味があったと思います。

 


大阪府の高校入試に作文があります。

私が受けたときの題は、

「私の大切にしているもの」でした。

私は、父の作った机のことを書きました。(父は大工です)

 


「好きな季節」とか

「心に残ったことば」とか

ずっとそんな題が出題されていました。

 


このとき、

書き方の型、として習ったのは、

できごと→感じたことや考えたこと、

の二段落で書け、

ということでした。

 


これが、

日本的作文、

あるいは随想随筆の原型だと思います。

 


枕の冒頭なら、

「あなたの好きな時間」

といった題に応じて書いたものといえるかもしれません。

彼女は、

「季節によって違うわね」

と考え、

四季全部書いちゃった。

 


なぜいいか、は、

きっとみんなも経験しているだろう、

事例そのものに語らせてます。

ディベートみたいに

なぜ、カラスなのかを

くどくど理屈で説明はしない。

 


そのシャープで潔い文体そのものが、

説得力の秘密になってます。

 


この根には、

やはり和歌があるのだろうと思います。

 

新鮮な材料、着眼、着想を

音律や語の選択も含めた文体、描写力で料理していくのが、

優れた随筆随想の核心だろうと思います。

 


文章自体の芸、という部分もある。

 


そして、

創作より、

論文より、

自由です。

 


私の実践経験から言えるのは、

随想式の文章を書く、また、読むことは、

眠っていることばの井戸みたいものを目覚めさせるのに有効だということです。

 


こんなものを食べた。見た。した。

こう感じた。

 


この自由さが、

読まれるという意識の中で、

貯蔵していた言葉を活性化させます。

 


どんどん言葉を出す。

出しながら考える。

書いてるうちにわかってくる。

 


そういうトレーニングに随想形式は適してます。

 


私は何々が好きだ。

すべきだと思う。

なぜならーー

 


みたいな形式が論理的だということで、

国語や英語でさかんにらやられています。

 


これは、

アメリカ型エッセイの形ですね。

 


主張しないと生きていけない社会で進化してきたものです。

主張を支える根拠と論理が大事。

 


それはもちろんそういう必要性もあるのですが、

その型で書かれた文章、

話されたことばは、

まあ、オモンナイのです。

心を打たない。

 


そして何より、

個人の主張をしてるはずなのに、

いつのまにか、

みーんなおんなじことを言ってるみたいになってしまいます。

しょーもない文章の山ができあがります。

 


私は、

まず自由に

体験とことばを自分の中から探し、

書いていく過程が必須だと考えています。

 


論文的論理は

その後身につけられます。