国語教育いろいろ

高校、大学の現場での議論のいろいろです

関連情報から深く読み込む

(2020.10.04)

●関連情報から深く読み込む

「露」と「消ゆ」は縁語、という話がOさんの授業で出ましたね。
聞いていて「縁語」って何なんだろう、と思いました。
縁語という技法の本質って何なのでしょう?
どなたか、解説してくれませんか。

「露」という言葉を今朝の新聞の俳句投稿欄に見つけました。

朝刊をひろげ露の世をのぞく(川西市)上村敏夫

昨日の授業受けていた生徒なら、
「はかない」世の中のできごとをのぞく、っていうことだな、
とわかります。

トランプさんがどうなったとか、
コロナ給付金を不正にもらったとか。

はかないよな、つまらないよな、ちっほけだよな、
という感じが、露、のぞく、という語から漂います。

古典で出てくる「露」はこのように、
2020年の秋の日曜日にも生きているわけです。
それを知っている読者は、
この日本語共同体の財産のおかげで、
せき立てられるような日常から、
この俳句を読んで少し解放されるわけです。

授業の準備をしていると、関連する情報が不思議に目に耳に飛び込んできます。
そういうものをリアルタイムに授業に活用できる力も、
教師の力として大切です。

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俳壇コーナーの隣に歌壇があり、
選者の一人に、永田和宏さんの名前が見えました。
知ってますか。

細胞生物学者ですが、歌人です。
教科書にもよく載る、歌人河野裕子(かわの ゆうこ)の夫です。
その妻の河野裕子さんの代表歌の一つがこれ。

たとへば君ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか 河野裕子

伊勢「芥川」で、
さらわれた姫はおびえながらも、
心の底ではこのように願っていたかもしれません。
屋敷の奥深く、
大事に育てられ、しかし自分の運命は周囲によってすべて決められている。

その私に猛烈に迫ってくる男がいる。
なんどもなんども、
色んな形で、歌をよこし、文をよこし、あきらめない男。
そのうちに彼女がこう思ったとしても不思議はないかもしれません。

たとへば君ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか

河野裕子さんはまだ六〇過ぎたときでしたが、
平成20年に亡くなります。
夫の永田さんの歌。

おばあさんになったあなたを見たかった庭にちひさくまどろむやうな 永田和宏

あのままいっしょに消えればよかった、という男のような激しい悲しみではないけれど、
失った愛への思いがこのような歌われています。

河野裕子永田和宏夫妻の娘、
永田紅の歌が、
皆さんの持っている明解国語総合に載っています。

対岸をつまずきながらゆく君の遠い片手に触りたかった 永田紅

川の対岸を走る彼がつまずく。
あ、と思う。
ここにも、触りたかったが、触れなかったという、
空中を掻くような感覚があります。

(余談。永田紅さんも父と同じ理系の研究者。
私の勤務校の理科の先生が大学で同期。
だけれど、紅さんが歌人だなんて知らなかった、といってました。
私が、図書館のメルマガで紅さんの歌を紹介したとき。)

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手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が

河野裕子が亡くなる前日の歌。
触れたいけれど、触れられずに消えてしまうという絶唱の感覚は、
どこか芥川に通うところがありませんか。

こう見てくると、
伊勢の「芥川」は、
男女が出会い、
ふれあい、
そして、ふれあうこともできなくなってしまう、という、
人生のドラマの超短縮版に見えてきます。

しかし逆に、だからこそ、
「あれはなあに」
と聞かれたその瞬間の絶頂は、
永遠に刻印されるのかもしれません。

そして、刻印のために必要だったのが、
歌、なのです。